2019年
2019年3月 第179回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
2019年2月 第178回さわやかネット句会 作品 特選句短評  
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第179回さわやかネット句会  (2019年3月)                  参加者:18名

 
 

■ 作 品

八百年(やほとせ)の時もたまゆら西行忌     真野 愚雪   最高点句
火葬場のまつすぐ上は木芽晴             たま四不像
春時雨走る背(そびら)に千の粒           翁山 歩存
秒針の動き緩やか日永かな                飯塚 武岳
遍路行く芝居の幟続く路                境木 権太
花冷えや時計の針の音響く              志摩 光月
八十路過ぎ蘖萌芽時を継ぐ              菊地  智
夜桜や十六両の窓灯                  森 かつら
はしゃぐ子の口に飛び込む散る桜          小正 日向
大山の稜線太し目借時                 舞岡 柏葉 
線香の煙眼で追ふ春彼岸              岡田 克子 
被災後に初めて産まる仔馬立つ          千草 雨音
身体折りくさみ続けて花見かな           川瀬 峙埜
冴え返る煌めく星の露天風呂            遊戯 好楽
うぐひすの谿より出でて法(のり)のこゑ      名瀬庵雲水
大道の火を吹く芸や桜舞う              野路 風露
夕闇に導きたりし花明かり              石   敬
大岡川肩にひとひら初桜               ただの凡庸

   

第179回インターネット句会特選句短評  
 

 岡田克子選

特選  夜桜や十六両の窓灯(森かつら)
       夜桜見物に。近景に桜そして遠景には丁度新幹線が走り去っていった。
     ライトアップされた桜の灯りと動く新幹線の窓の灯りが幻想的です。

     単調な講師の声や目借時(飯塚武岳)
      単調な声は子守唄となって、そうでなくとも春は眠気が襲ってきます。           
     兼題を上手に使っていました。

     時越えて都踊りはよーいやさ(千草雨音)
      舞子さんのういういしさと華やかさが浮びます。「時越えて」が効いています。「都をどり」
     に。

     遍路行く芝居の幟続く路(境木権太)
      四国の遍路道の中途に、四国こんぴら歌舞伎開催の幟が風にはためく中を横目に次の
     札所へ黙々と歩き続ける。

     蒲公英の数をかぞえて塾の道(たま四不像)
      子供の頃の追憶でしょうか。あまり見かけなくなった日本蒲公英、西洋蒲公英が多いです
     ね。たんぽぽの句と言ったら次の句が浮びます。

     たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典
     

     今月の一言
     二句一章とは取り合せ仕立て

    季語・や  誰が・何が  どうした
例 蛍火や   少年の肌   湯の中に   飯田龍太
    季語・や  何がどこに  何がどうした
例 菜の花や  月は東に   日は西に    蕪村
    季語・や  下五の説明   名詞
例 行く春や  ほのぼののこる 浄土の図   水原秋櫻子


秒針の動き緩やか日永かな(飯塚武岳)          
(たま四不像)「時」とはもちろん物理的な時間もありますが、気分によっても年齢によっても行動によっても感じ方が変わります。その「秒針までが穏やかに過ぎる」ように感じたことを、「日永」という季語で表したのは素晴らしい気づきと思いました。

春時雨走る背 ( そびら ) に千の粒(翁山歩存)
(名瀬庵雲水)" 千の粒 " と詠んだのが効果的。粒として認識できるのであれば、雨は然程 ( さほど )でもないのか。" 千の粒 " で雨足の強い状況を詠むのであれば、春驟雨の方が合うか。

八百年(やほとせ)の時もたまゆら西行忌(真野愚雪)                   
(菊池 智)日本語は美しいですね!悠久の時の流れから見れば800年は暫時です。奇しくも忌日は3月21日東京で開花宣言が出た日です。                                  (翁山歩存)全体の詩の流れもよく、時の経つ速さがたまゆらでよく表れていると思う。          
(舞岡柏葉)現代でも愛されている西行の若。800年の時空もたまゆら(わずかな時間)ととらえている作者。そして我々の100年の生涯など・・・という感慨でしょうか。         
(飯塚武岳) 桜をこよなく愛した西行が没して八百年。過ぎてみれば一瞬。今年もまた桜の季節が廻ってきたが、世の無常、はかなさをうまく詠んでいる。
 
 蒲公英の数をかぞえて塾の道 (たま四不像)
(森かつら)子ども達が花を数える姿がうかびます。

華を競う花に早生(わせ)あり晩生(おくて)あり(翁山歩存)
(遊戯好楽)花見してた時 咲き誇っている花とまだ蕾のを見たときの情景を思い、
自分も歌いたかった状況を上手に詠んでいるいると思い戴きました。

里暮れてはくれん仄と灯りおり(真野愚雪)
(千草雨音)夕闇に咲くはくれんを、こんなに美しく表現されたことに感じ入っております。
「はくれん」と仮名を使われたのも、また心憎いです。

八十路過ぎ蘖萌芽時を継ぐ(菊池 智)
(ただの凡庸)庭木のひこばえを見て時代の流れを感じた。作者の気持ちが分かるような気がした。

風光るしだれ桜の枝の先(志摩光月)                            
(石  敬)きらきらときらめく川面につくかつかぬかと垂れそよぐ枝先に、 風が光ると表現するとは、秀逸な句ですね。

身体折りくさみ続けて花見かな(川瀬峙埜)
(小正日向)くしゃみをしている方の様子が見えるようです。

春時雨走る背(そびら)にの粒(翁山歩存)
(境木権太)変わりやすい春の天気。俄かに振り出した時雨に慌てて 雨宿りに走る人かそれとも犬か動物か。その背中は無数の雨粒に濡れている。「背」を「そびら」と読ませ、無数の雨粒を「千」と表現したことに感心しました。浮世絵の大橋の状況を髣髴とさせます。

花冷えや往時を偲ぶ能舞台(境木権太)
(野路風露) 花冷えと能舞台がとてもよくあうと思いました。

火葬場のまっすぐ上は木芽晴(たま四不像)
(真野愚雪)作者は 目の前に広がる普段の生活の風景をまっすぐ見つめます。そして、そこには日常の中にある生と死の姿がそのままあります。

(川瀬峙埜)悲しみを通り越して乾いた感じがします。きっと大往生なのでしょう。「死」という事実

が句の中では何かユーモラスにも感じます。火葬場の上は天国でしょうか?


   

   

第178回さわやかネット句会  (2019年2月)                  参加者:18名

 
 

■ 作 品

痛みとて生くる証や春疾風        名瀬庵雲水   最高点句 

芽柳の京の老舗の金平糖        千草雨音
菜の花や園児の帽子見えかくれ     志摩光月
仮設所の軒端華やぐ吊るし雛      境木権太
永平寺の僧の蹠(あしうら)春障子    岡田克子
笑み浮かべ古き雛や母の影       野路風露
ほくほくと土筆のならぶ畔の道      ただの凡庸
のどけきや妻の小言もよく響き      真野愚雪
ドイツミサ春の寒さをやさしくす      たま四不像
古書街や少し早目の春セーター     舞岡柏葉
蕗の薹天を窺い顔を出し         飯塚武岳
苺パフェ平らげ匙も舐める舌       川瀬峙埜
マスクしてマスクを避(よ)ける診療所  翁山歩存
片付けてまた出して着て春時雨     石  敬  
祖母尋ぬ杣家を囲む山笑ふ       遊戯好楽
宴会も平和のあかし花見かな      小正日向
あれこれと悩みは尽きぬ木の芽どき  森かつら
曇天に平野も雪の注意報        菊地 智

   

第178回インターネット句会特選句短評  
 

 岡田克子選

特選  横浜の海とショパンと春の雲(たま四不像)
     山下公園から穏やかな海を見るのが好きです。句全体に癒しを感じました。
    ショパンのワルツのせいでしょうか。季語がふんわりと幸せにしてくれました。

     平成の想ひ出乗せて春が行く(ただの凡庸)
     小渕さんが「平成であります」とついこの間に聞いて様に思います。
    アット言う間に平成も30年4か月で終わります。嬉しいことも悲しいこともありました。この句    の様に春風が平成の想い出を乗せていきます。
  これも別れの句。

     菜の花や園児の帽子見えかくれ(志摩光月)
     菜の花畑に遠足の景が浮びます。菜の花の丈と園児の背の丈が
    どっこいどっこいなんですね。 下五が良かった。

     空青き菜の花の海に飛び込む(野路風露)
     空は青いし菜の花畑は黄色一色できれいだし、おもわず海のようだ
    と飛び込んだ心象句。作品が青春しています。

     人波の川面に映る花見かな(志摩光月)
     内容は簡単ですが、大岡川沿いの花見時はまさしくこの様な感じです。  素直な句です。

    今月の一言
   助詞力をアップする 
 
   「で」=原因、結果となる、なるべく使わない方が良い。
   「は」=取り出したひとつのたとえ「空は茜色」とか。
   「を」=時間、空間を現わす。
   「に」=きづき、場所。
   「へ」=動きの方向、句に動きが出る。


苺パフェ平らげ匙を舐める舌(川瀬峙埜)                       

(千草雨音)とても美味しい苺パフェだったのでしょう!「匙を舐める舌」に子供の表情が目に浮かびます。

山吹や平成の日々しめにけり(志摩光月)

(ただの凡庸)山吹の花ことばを調べたところ「気品・崇高」でした。平成が終わることを上手に詠んだと築きました。

草餅のかわく仏間で眼鏡とる(岡田克子)

(たま四不像)毎日の繰り返しである生活を句にするのはなかなか難しい。その点、食べ物を季語にすると季節感が良く出る。この句はそういう意味でも面白いと感じた。「草餅のかわく」で季節感がでて、それが「仏間」という特別の場所、「眼鏡とる」で作者の登場により現実味が伝わる。「かわく草餅」に「仏間」そしてなぜか「眼鏡をとる」、この意外性の連続が余韻となり物語的想像が浮かぶ句であった。

蕗の薹天を窺い顔を出し(飯塚武岳)           

(翁山歩存)春が近づき蕗の薹が芽生える雰囲気をうまく表現していると思いました。 

のどけさや妻の小言もよく響き(真野愚雪)

(境木権太)いつもの妻の小言もうららかな春の陽気の中ではのどかに響きます。幸せな家庭の日常を巧みに詠んでいます。

ほくほくと土筆のならぶ畔の道(ただの凡庸)

(遊戯好楽)土筆の並ぶ様子を「ほくほくと」がなんとなく春の温かさを感じた。

痛みとて生くる証や春疾風 (名瀬庵雲水)

(森かつら)春疾風・・春先に吹く強い風の呼び名のひとつ・・勉強になりました。
痛みは暖かくなるにつれ和らぐと詠みました。

永平寺の僧の蹠(あしうら)春障子(岡田克子)

(菊池 智)只管打坐ひたすら座禅する僧静かな雰囲気の中障子を通し柔らかな春の訪れが描かれています。

笑み浮かべ古き雛や母の影(野路風露)

(舞岡柏葉)幼い日に両親が娘の幸多き人生を願い求めた雛のでしょう。小さかった頃気が付かなかった古き雛の笑みに母の面影を発見した喜びの情景が目に浮かびます

マスクしてマスクをを避(よ)ける診療所(翁山歩存)      

(名瀬庵雲水)冬の季語ですが、滑稽さを感じます。自分も同じ事を無意識にしているかも。
 病院や医院でなく診療所にしたところは、語呂も良く、味わいのある句 になったと思います。

菜の花や園児の帽子見えかくれ(志摩光月)

(小正日向)園児たちのはしゃぐ声が聞こえてくる黄色く染まる菜の花畑が見えるようです。

仮設所の軒端華やぐ吊るし雛(境木権太)

(飯塚武岳)被災地の仮設所で暮らす人々にも春は巡ってきます。吊るし雛が厳しい生活を癒し希望をもたらしてくれます。生きることへの逞しさ明るさが感じられます。
(野路風露)吊るし雛が元気を与えてくれると良 いですね。

碓氷とけて相模の風土記かな(たま四不像)

(川瀬峙埜)古い昔の歴史の謎が少しずつ氷が解けていくように分かっていくのはなんだかワクワクして清々しい春を迎えたような気分ですね。 

空青き菜の花の海に飛び込む(野路風露) 

(石 敬)景色への感動、気持ちの躍動が伝わる生き生きしたテンポのいい句ですね。ドーンと飛び込みたくなる一面の黄色い花畑、先日皆で行った南房総の情景です。

若鮎や前行く子らの長き脚 (千草雨音)                

(志摩光月)季語の選択がよく、また 詠み手の心情を含め状況がよく見える秀句と思います。

 ドイツミサ春の寒さをやさしくす(たま四不像)

 (真野愚雪) しらべて意味を知る前に、先ず「ドイツミサ」という異教的な憧れを掻き立てるようなことばに引き付けられます。それが 凛とした「春の寒さ」と共鳴し合って清しく響きす。個人的な嗜好では「やさしゅうす」とよみたいです。